吳鳴弄堂,弄個什麼名堂




11. 東京物語(四)


  2006年10月16日 星期一 晴

  今天是日本人說的秋天之情日──秋晴,一個非常適合出遊的日子。

  早上8: 30集合,9: 00開車,往箱根溫泉區。

  11: 15抵大涌谷。這裡是火山口,地下湧出硫磺。由停車坪至硫磺口步行約15分鐘。吃硫磺蛋,據說吃一個延長七年壽命,一盒6個,500日元。

  12: 00開車,12: 10行經蘆之湖,為一火山湖,湖面有海盜船,遊艇等遊樂設施,可乘船至對岸伊豆,彼處有驛道,兩旁植樹。蘆之湖有武士進京之驛站。

  12: 15行經芒草之山坡,景色甚美,猶如台北陽明山之擎天崗之秋日芒草。

  12: 25抵箱根之Highland Hotel餐廳,吃西餐。

  1: 30開車,2: 20抵箱根御關所。公園石碑刻著鳥居忱作詞的〈箱根八里〉第一章〈昔の箱根〉歌詞。

  〈箱根八里〉 鳥居忱作詞・滝(瀧)廉太郎作曲:

  第一章 昔の箱根

  箱根の山は天下の険
  函谷関も物ならず
  万丈の山 千仭の谷
  前に聳え後に支う
  雲は山をめぐり
  霧は谷をとざす
  昼猶闇き杉の並木
  羊腸の小径は苔滑か
  一夫関に当たるや
  万夫も開くなし
  天下に旅する
  剛毅の武士
  大刀腰に足駄がけ
  八里の岩根踏み鳴らす
  斯くこそありしか
  往時の武士

  はこねのやまはてんかのけん
  かんこくかんもものならず
  ばんじょうのやま せんじんのたに
  まえにそびえしりえにさそう
  くもはやまをめぐり
  きりはたにをとざす
  ひるなおくらきすぎのなみき
  ようちょうのしょうけいはこけなめらか
  いっぷかんにあたるや
  ばんぷもひらくなし
  てんかにたびする
  ごうきのもののふ
  だいとうこしにあしだがけ
  はちりのいわねふみならす
  かくこそありしか
  おうじのもののふ

  第二章 今の箱根

  箱根の山は天下の阻
  蜀の桟道数ならず
  万丈の山 千仭の谷
  前に聳え後に支う
  雲は山をめぐり
  霧は谷をとざす
  昼猶闇き杉の並木
  羊腸の小径は苔滑か
  一夫関に当たるや
  万夫も開くなし
  山野に狩する
  剛毅の壮士
  猟銃肩に草鞋がけ
  八里の岩根踏み破る
  斯くこそありけれ
  近時の壮士

  はこねのやまはてんかのそ
  しょくのさんどうかずならず
  ばんじょうのやま せんじんのたに
  まえにそびえしりえにさそう
  くもはやまをめぐり
  きりはたにをとざす
  ひるなおくらきすぎのなみき
  ようちょうのしょうけいはこけなめらか
  いっぷかんにあたるや
  ばんぷもひらくなし
  さんやにかりする
  ごうきのますらお
  りょうじゅうかたにかわらじがけ
  はちりのいわねふみやぶる
  かくこそありけれ
  きんじのますらお

  
  ◎〈箱根八里〉曲譜

  明治34(1901)年3月瀧廉太郎(Rentaro Taki, 1879~1903)作曲的〈箱根八里〉、〈荒城の月〉、〈豊太閤〉收錄於《中學歌本》;一百年來成為日本人朗朗上口的歌謠。東京大學總合研究科博士生,曾是我學生的若松大佑即席演唱〈箱根八里〉第一章〈昔の箱根〉,讓我覺得日本的民族精神教育真是成功。

  瀧廉太郎的另一首名曲〈荒城の月〉(Kojo no Tsuki),同樣是是應東京音樂學校(今東京藝術大學音樂部)編輯新音樂教材的需要,而於1901年誕生的作品,相較於課本裡原有的翻譯歌曲,這些先有詞而後有曲,旋律配合日本語音韻的歌謠創作,讓學生們唱起來更順口。詩人土井晚翠(Bansui Tsuchii, 1871- 1952)以福島縣會津若松市的鶴ヶ城(幕末戌辰戰爭的舞台),與自己故鄉宮城縣仙台市的青葉城發想,為〈荒城之月〉的命題,創作了四段歌詞,道出詩人被舊城遺跡喚起的惆悵。

  曲譜則是瀧廉太郎其故鄉大分縣竹田市的岡城遺址,尋求靈感的結晶;作品發表同年,瀧廉太郎遠赴德國萊比錫音樂院深造,後因為罹患肺結核而返回日本,過世時年僅23歲。

  〈荒城之月〉 井晚翠作詞・滝(瀧)廉太郎作曲
  春高楼の 花の宴、めぐる盃 影さして、
  千代の松ヶ枝 わけいでし、むかしの光 今何処。
  秋陣営の 霜の色、鳴きゆく雁の 数みせて、
  植うるつるぎに 照りそひし、昔のひかり いまいづこ。
  今荒城の 夜半の月、変らぬ光 誰がためぞ、
  垣に残るは 唯かづら、松に歌ふは たゞ嵐。
  天上影は かはらねど、栄枯は移る 世の姿、
  うつさんとてか 今もなほ、ああ荒城の 夜半の月。

  春日高樓明月夜,盛宴在華堂。杯觥人影相交錯,美酒泛流光。
  千年蒼松葉繁茂,弦歌聲悠揚。昔日繁華今何在,故人知何方?

  秋日戰場布寒霜,衰草映斜陽。雁叫聲聲長空過,暮雲正蒼黃。
  雁影劍光相交映,撫劍思茫茫。良辰美景今何在,回首心悲愴!

  荒城十五明月夜,四野何淒涼。月兒依然舊時月,冷冷予清光。
  頹垣斷壁留痕跡,枯藤繞殘牆。松林唯聽風雨急,不聞弦歌響!

  浩渺太空臨千古,千古此月光。人世枯榮與興亡,瞬息化滄桑。
  雲煙過眼朝複暮,殘夢已渺茫。今宵荒城明月光,照我獨彷徨!

  
  ◎〈荒城の月〉原曲為b小調,全曲只有8個小節;第11個音符附有升半音(#)的臨時記號。

  在返回新宿的遊覽車上,東京大學總合文化科博士生阿部小姐為我們唱〈荒城の月〉,歌聲深切感人。阿部小姐還為我們唱了日本民謠〈紅蜻蜓)。

  赤蜻蛉 作詞 三木 露風 作曲 山田 耕筰

  夕焼け小焼けの 赤とんぼ
  負われて見たのは いつの日か

  山の畑の 桑の実を
  小籠に摘んだは まぼろしか

  十五で姐やは 嫁に行き
  お里のたよりも 絶えはてた

  夕焼け小焼けの 赤とんぼ
  とまっているよ さおの先

  紅紅夕陽下 有紅蜻蜓
  我曾在大人肩上觀看牠們
  那是多年以前的事了
  記得山中田野間 我採了桑椹
  滿滿一籃子 那是幻想嗎
  十五歲那年 姊姊出嫁了
  和家鄉的音信從此斷絕
  紅紅夕陽下 有紅蜻蜓
  看啊 他就停在竹竿的那一端

  心底浮現小山村的紅蜻蜓,淡然幽微的童年往事。想起十七歲出嫁的阿姊,彼時我五歲,還沒上小學。四十年後,阿姊開了兩家便利商店,我在大學教書,偶爾返回故居時去看伊,伊的樣貌變得跟阿姆愈來愈像。

  箱根御關所古驛道,現存326顆逾三百年之杉木。

  箱根神社鳥居,二──三人合抱。

  箱根.伊豆鐵道,令我想起川端康成《伊豆の舞孃》。

  四點離開箱根關所,在東名高速公路上塞車,七點始抵達新宿Washton Holtel。

  大家決定到台場商圈吃晚餐,台場是1990年代利用海埔新生地開發的夢幻商圈,逢日本泡沫經濟,許多財團因此破產,是一失敗之開發案例,但商圈實極高檔。

  在東大拉麵館吃豪華拉麵,一碗950元日幣,分量不多,再加一團麵,費150日元,加上來回地鐵,費約1000日圓,花2000日圓(約700台幣)吃一碗拉麵,真是豪華。麵略鹹,可能東京吃食口味較重之故。

  在台場照相,背景為彩虹橋和東京鐵塔,即東京愛情故事拍攝地點,夜景甚美。

  若松大佑帶大夥兒逛新宿歌舞伎町,有如急行軍,走得兩腿發軟。再由歌舞伎町走回旅店,近十二點抵達,幾乎攤在床上。

  
  ◎大涌口遠眺富士山,因秋天之晴日,富士山清晰可見。

  
  ◎與研討會主人村田雄二郎教授合影。

  
  ◎大涌口的琉璜地熱孔。

  
  ◎箱根的秋日芒花。

  
  ◎位於箱根的Highland Hotel。

  
  ◎Highland Hotel的外觀極為漂亮。

  
  ◎Highland Hotel的西餐廳。

  
  ◎箱根御關所。

  
  ◎箱根御關所主關。

  
  ◎箱根御關所的涼亭。

  
  ◎箱根御關所步道。

  
  ◎箱根御關所的樹林與天空。

  
  ◎木造結構的箱根御關所建築。

  
  ◎古道逾300年的杉樹迎天挺立。

  
  ◎箱根御關所風景一瞥。

  
  ◎台場夜景。

  
  ◎台場的高檔拉麵,一碗950元日幣。

  
  ◎台場的拉麵博館入口。

  
  ◎台場遠眺虹橋與東京鐵塔,這裡是《東京愛情故事》發生的場景。





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